A. A. ファン・ルーラー著「神の国と歴史」(1)
何か新しいことを始めるときに抱負を述べることは、だれでもしていることであり、だれにでもできることである。だれにでもできるとは限らないことは、最初に述べた抱負に恥じない結果を出すこと。そして、その結果に至るまでの途中の努力を怠らないこと、だろう。
以下に訳出したのは、20世紀のオランダ人神学者A. A. ファン・ルーラー(Arnold Albert van Ruler [1908-1970])が、1947年11月3日、ユトレヒト大学神学部の教授(オランダ改革派教会担当教授)に就任する際に行なった記念講演の冒頭部分である。1947年といえば、第二次世界大戦の終戦直後でもあった。ヨーロッパの思想と文化の大混乱状態の中で「神学」がなすべきことは何かを真摯に問うファン・ルーラーの姿には今なお多くのことを学びうると確信するものがあり、訳しはじめた。
この論文については、とにかく最後まで訳すことをお約束する。全訳する価値がある名講演だと思う。
-------------------------------------------------
A. A. ファン・ルーラー著/関口 康訳
「神の国と歴史」
(ユトレヒト大学神学部教授就任記念講演、1947年11月3日)
どの学問分野にも当てはまることだろうが、現代思想の分裂に直面して、自分自身が取り組んでいる学問的な専門分野と学問全体や文化との関係を明らかにする必要を感じているのは、他のどこにも増して神学部である。神学の仕事とは、神の前で、世の中で、人間であるとは何を意味するのかを問うことである。この問題は神学の問題だけではなく哲学の問題でもある。しかし、神学には神学なりの固有の問い方がある。我々神学者は、我々らしい方法を用いて、現代社会を揺さぶっている学問の危機という問題にかかわるのである。
自分自身の専門分野と学問全体や文化との関係を考え抜くことの必要性は、私自身がこれから担当することになる聖書神学とオランダ教会史と宣教学という三つの講義の準備をしてきた中で、強く自覚させられたことである。今は、神学とはそもそも学問なのかと問われている時代である。そしてまた、学問と文化の関係が危機的状況に陥っている時代でもある。そのような時代の中で神学者が取り組むべきことは、神学と学問と文化を結び合わせ、まとめあげることである。
私が苦心したのは、聖書神学とオランダ教会史と宣教学という三つの講義をどうすれば調和させることができるだろうかという問題であった。具体的に言えば、信仰の父アブラハムと、ユトレヒト大学神学部の歴史的創設者であるヒスベルトゥス・フーティウスと、オランダ改革派教会の宣教地であるパプア・ニューギニアの人々を全く同じ一つの視野の中で同時に見つめるためにはどうしたらよいのかという問いであった。それはまた、夢追い人と揶揄されたフードマーカーの言葉を持ち出していえば、「使徒の福音」と「国家神学」と「全世界のキリスト教化」との関係は何かという問いでもあった。
このような我々の問題意識に対し、その必要を満たし、今後の方向を示し、さらにしっかりと全体をまとめていくための出発点として、「神の国」と「歴史」との関係を問うこと以上に良いことはありえないと、私は思い至った。「神の国」と「歴史」の関係を問うとき、我々の意識の中では、聖書と教会と宣教が、それぞれにふさわしい位置づけと役割をもっている。また、神学者が歴史の問題に真剣に取り組むならば、そのとき初めて、神学と他の学問との関係を明らかにすることができるのである。
(続く)
| 固定リンク