« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »

2011年3月

2011年3月26日 (土)

政府の放射線障害防護の対応について

名古屋教会の原科浩長老(物理学者)が貴重な情報を提供してくださいました。ご本人の許可を得られましたので、謹んで転載させていただきます。

PDF版はここをクリックしてください

----------------------------------------------------

「政府の放射線障害防護の対応について」

 原科 浩 (日本キリスト改革派名古屋教会長老、大同大学教員、物理学者)

福島原発の事故と放射性物質による汚染の拡大に憂慮しています。安全、安全を繰り返す政府やマスコミに登場する学者たちが、旧約聖書の偽預言者と重なって見えるのは私だけでしょうか。

内容が難しいかもしれませんが、参考になるサイトとして

原子力情報資料室 http://cnic.jp/
原子力安全研究グループ http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/index.html

をあげておきます。

また、京都大の今中哲二さんが

「福島県飯舘村のセシウム137による土壌汚染レベルの推定
 チェルノブイリ原発事故の当初の強制移住レベルの2倍以上
 1990年にベラルーシ最高会議が決定した強制移住レベルの約6倍 」

と推定しています。(全文は、美浜の会 http://www.jca.apc.org/mihama/

政府は安全が確認されるまで、住民を避難させるべきではないでしょうか。

私は、原子力発電や放射線医学の専門家ではありませんが、放射線を研究に利用している物理学研究者です。放射線を利用するには必ず教育訓練を受けなければなりませんが、そのとき学ぶ放射線防護の考え方から、政府の対応やそれを支持する専門家の姿勢はおかしいと考えています。

放射線障害防止法やICRP(国際放射線防護委員会)では、放射線の影響を、急性障害(確定的影響)と晩発性の発ガン率の増加(確率的影響)に分けて考えます。

急性障害はある一定量以上の被ばくがなければ生じないとしていますが、発ガン率の増加などは、どんなに少ない量の放射線被ばくでもゼロにはならないと仮定して防護を考えます。放射線の被ばくは可能な限り低く抑えるのが原則です(ALARA原則 As low As Reasonably Achievable)。公衆の年間被ばく限度を1ミリシーベルトと定めていますが、1ミリシーベルトまで被ばくしてもよいという値ではないはずです。

テレビで100ミリシーベルトぐらいなら(直ちに)健康に影響はないと言っている学者さんはおかしいです。少なくとも年間1ミリシーベルト以上は被ばくさせないように、政府は住民避難などを考えるべきだとなぜ言わないのでしょうか。

「直ちに健康に影響はない」は、急性障害は生じないという意味で使っていると思います。暗に、数年後の発ガン率の増加がないとは言っていませんよという表現です。事故が長期化し、汚染が広がってきた状況では、この点についてマスコミも触れずにはすまなくなってきたようです。

自然放射線による発ガンリスクは、10万人に2人程度と推定されています。自然放射線レベルなら安全ということではないことを知ってください。ましてや、レントゲン撮影やCTによる被ばくと比較して問題ないという言い方もとんでもありません。病気やけがでもないのに、レントゲン撮影を受ける人はいません。

飲食などによる内部被ばくについても、同様な意味で深刻に考えるべきと思っています。確かにすぐ病気になることはないでしょうが。摂取を厳しく制限し、安全な飲食物を政府の責任で確保・配給してほしいです。

関東・東北に暮らしておられる方々、兄弟姉妹、特に子供たちの健康と安全を危惧しています。政府の対応は、住民の安全を第一に考えて行っているとは、私には思えないのです。

|

他人のブログを読まない自由もある

思い上がった人間はキリスト教の世界にもいます。ちょっと腹にすえかねることがあったので書きとめておきます。

知る人ぞ知る著名人かもしれないので(どうだか分かりませんが)実名をさらしても構わないところですが、いまは名前を見るのも嫌な気分なので、伏せておきます。その人は牧師で、ある雑誌(日曜学校関係)の編集長です。

私はかつてその人から原稿依頼を受けたことがあります。しかし、忙しい中なんとか書き上げて送りましたところ、あろうことか、その原稿がボツにされました。

私はといえば、自分の原稿をボツにする雑誌には、私の側によほど落ち度がある場合は別ですが、基本的に「二度と書かない」ことにしています。

私がかかわりうる雑誌はキリスト教関係のものに限定されているゆえに、稿料などはほとんど全くもらったことがないわけで、その割に心と体に負担の多い仕事なので、無駄な労力はできるだけ使いたくない。

編集長ないし編集部と方針が違うなどの理由でボツにされるボランティア原稿など、二度と書きたくないんです。その努力を注ぐ価値や意味を見いだせない。

しかし、だからといって、私はその人(たち)を憎んでいるわけではないし、そもそも関心が無い。「憎む」というほどその人(たち)のことを知らないし、どうでもいいんです。

ところが、どうしたことか、その人、つい昨日のことですが、私のブログを読んだと言ってメールをよこし、「読むのが苦痛だ」とか、「この文章を削除しろ」とか、「それがあなたのためだ」とか言いだした。

いつからこの人は私のブログの編集長になったのだろう。そういう勘違い、もう本当にやめてほしいと思う。一度として私は、その人のことを尊敬したことはないし、私より「上」に立つ人間だと思ったことはない。どちらかといえば苦手なタイプ。最初に出会ったときから今まで、その感触は変わらない。

「もう終わりにしましょう」と返事しておきました。言いたいことがあるなら、ご自分の雑誌があるのだから、そこに書けばいい。自分でブログを開けばいいし、教会の週報でも何でも、書ける場所ならいくらでもある。どうぞご自由に。

しかし、お願いだから、他人のブログを読んで「削除しろ」とか言わないでほしい。私は、最初から最後まで、自分の名前はさらしながら書いている。住所や電話番号まで公開している。反論があるのは分かるが、削除要請は反論ではない。私の書いていることが間違っているなら、そうであることを公の場で議論するほうがいいに決まっている。

このたびの「東北関東甲信越大震災」を機に、人間関係が変わって来た、というか、整理できるようになってきたと感じています。

私のブログを読むのが苦痛なら、読まないでほしい。その自由も、その人にあると思う。

ツイッターもフェイスブックも、私の書いたことが嫌なら、フォローをやめるか、ブロックしてほしい。私もそうすることにしています。

|

2011年3月23日 (水)

敬虔の衣を着た無責任体質では困る

アメリカや韓国から来日している宣教師たちには軍隊や徴兵を経験した人が多いこともあるからでしょう、震災後の支援活動を真っ先に始めた人たちの中に彼らを数えることは間違っていないと思います。「原発から放射能物質が漏れている」という報道があろうと、「ハイハイ平気平気」ってな調子です。

しかし、そういう彼らが「防護服」をまとって現地に乗り込むわけではない。彼らだって実際の放射能を体験したことがあるわけではない。そういう彼らの勇敢さ(その裏側にある「無謀さ」)が、同行する信徒(とくに青年や神学生)を危険区域に近づけ過ぎているとは言えないでしょうか。

彼らの行動が後発の者たちに与える心理的影響は、あまりにも大きすぎます。現地に行かないやつらは臆病で不信仰、と責められているような気持ちにならないでしょうか。

漏れている放射能物質について官房長官は「ただちに」人体に影響が出るレベルではないと、巧みな文法を使って喋っていますが、「影響が無い」と言っているわけではない。今の放射能汚染の状態は、本当に「ハイハイ平気平気」と言えるレベルなのでしょうか。何かあったとき誰が責任をとるのでしょうか。

「イエスさまが責任をとってくださいます。すべてを主に委ねましょう」で済むのが教会でしょうか。私45歳は45年教会に通っていますが、教会のそういうところが心底嫌いです。無責任体質が敬虔の衣をかぶっているだけ。宣教師に退去命令を出す教会のほうが信頼に足る教会だと感じられてなりません。

退避しろと言われても、おいそれと動けるわけがないというのは私も同じです。しかし、本当に深刻なレベルになったら我々だって逃げなければなりますまい。「一緒に西に逃げましょう」と教会員を説得して連れて行く(少なくとも「連れて行こうと試みる」)責任が牧師はあるんじゃないかと思います。

宣教師たちの好意は好意として感謝しています。また、ボランティアの方々の足を引っ張る意図は皆無です。問題はそこから先です。自分自身の強さ(マッチョさ)が血気盛んな青年たちの義侠心を利用しすぎていないか。そういうことへの警戒心が、ボランティアリーダーたち自身の中にあるかどうか、です。

放射能不安さえなければ、被災地復興のために今すぐ立ちあがり、全力を尽くすべきだと思っています。不幸な出来事を美談にするのは苦手です。しかし今思うことは、震災を境に、「就職が無い」だ「生きる目的が分からない」だ言って家に引きこもる理由は誰ひとり無くなったのではないかということです。

日本を「復旧」するために、否、前よりもっと良いものへと高めていくために、しなければならないことは、たくさんあるのではないでしょうか。給料は少々安くても仕事は山ほどあるはずです。みんなが安けりゃ公平です。

最悪のシナリオは字にする必要はないかもしれないが、万が一私を含む東日本の者の息の根が止められたときは西日本の方々によろしく頼んます。しかしだからこそ返す返すも放射能汚染は困る。最悪、その町を何世紀も住めなくする。「狭い」日本の国土をさらにダウンサイジングし、「復旧」できなくする。

ちなみに私は、この期に及んでも反原発論者ではありません。いいかげんあきらめろと言われそうですが、バブル世代だからでしょうか、いまだに大震災前の「豊かさ」が愛おしい。レインボーブリッジから見る東京の夜景が懐かしい。「暗い東京」が悔しくてたまらない。私も万死に値するかもしれませんね。

|

2011年3月22日 (火)

苛立つ日々です

仙台や福島への物資の輸送に奔走してくださっているアメリカ人宣教師たちの腰の軽さにはもちろん感謝もしていますが、本国教会から退避命令が出たため帰国せざるをえなかった宣教師もいます。ただちに現地に駆けつけた人たちは勇敢で、行かない者たちは臆病、という図式が描かれることを私は恐れています。

民放各局が「東日本大震災」と括って事実上もっぱら東北地方に視聴者の目を向けようとしている中で、ひとりNHKだけは「東北関東大震災」と括ることで「関東」も十分な意味で被災地であることを訴え続けてくれているのは有難いことです。

関心や実際の支援に優先順位が生じることは致し方ないとしても、そもそも関心そのものが向けられないとか、「あの大変な方々と比べたらお前らは大したことないだろ」的に扱われたりするのは、とても寂しいことです。

泉谷しげる氏が「報道は映像災害コンテストをやるな!」と吠えたことを知りました。毒ありすぎとは思いましたが、この方の炯眼にちょっと感動しました。

実際、関東全域はいつ停電になるか分からないし、東京湾岸地区は液状化や地盤沈下がひどいし、茨城は断水が続いているし、松戸あたりまでガソリンは無いし、交通機関は麻痺し、日用品や日常食(パン、牛乳など)さえ入手困難です。弱音など吐きたくありませんが、動きたくてもまともに動けないんです。

うちの場合、教会と牧師館が別々で(向かい合っていますが)、教会のほうにはテレビが無いので、余震と原発事故と放射線量の情報を得るために、ほとんど牧師館に引きこもり、テレビとパソコンを睨んでいるしかない状況で、ひたすら歯がゆいかぎりです。イライライライライライラ(激怒)。

ちばテレビで連日のように新浦安や稲毛周辺の「銭湯情報」が流れている状況なんですよ、今まさに。ACの「ポポポポーン」も発狂しそうなくらい聞いたので(集中豪雨と呼ばれているそうですね)、ここ数日はなるべくNHKかちばテレビを見ることにしています。

というわけで、ここ数日ほど愛する妻子から冷たい目で見られたことは、いまだかつてないと思うくらいの悲惨な状況です。「牧師って、こういうときに、家に引きこもってテレビとパソコン見る仕事なの?」とか言われ。「ち、ちがうんだよー!」と叫べば叫ぶほど泥沼にはまり。

原発の心配があったので後ろ向きのことばかり書いてしまったことを、お許しください。東北地方の教会と地域社会が一日も早く復興しますように、そのためにボランティアの方々の働きが祝福されますように、お祈りしています。

状況がなかなか整わず自分の持ち場を離れることができないゆえに現地に行けずにいることを苦にしている人は(私を含めて)たくさんいると思いますが、それぞれが「今、自分にできることは何か」を考えていますので、その気持ちは分かってほしいと願っています。

|

2011年3月21日 (月)

自称「専門家」の耐えがたい軽さ

福島原発の情報の中に、自分は専門的研究をし、専門的仕事に就いていたという観点から「素人による憶測」を揶揄する思い上がった文章を見かけます。見れば、たかだか16年の経験知。牧師の中にもたまにいますが、神学校に6年在学し牧師を10年したくらいで「専門家」を名乗れば失笑を買うだけです。

それに、往々にして、自称「専門家」こそ、あるいは「メーカー(のメンバーだった人)」こそが、同業者庇い合いをしますし、事実の隠ぺいや火消しに躍起になるものです。自称「専門家」だからこそ信用できない、という見方はできませんか。

マスコミの言うことを鵜呑みにするのは間違いだくらい素人でも知っていることです。しかし、マスコミが突っ込まなければ逃げ切りを図ろうとする東電幹部や政治家もいるでしょう。マスコミを小馬鹿にする人にはマスコミの追及を恐れている人も多い。べつにマスコミの肩を持ちたいわけではありませんが。

今の福島原発を怖ろしいと感じている人の中には、マスコミが煽っているから、ではなく、何が起こっているかが分からないから気色悪いと感じている人は多い。どういう研究をなさった方か知らないが、専門家でない連中は常にマスコミに踊らされているだけだと言いたげな上から目線が恐ろしく耐えがたい。

それに、なんだかこの人が書いていることを読むと、今の福島原発はオートマティックに大丈夫だと言っているかのようですが、ふざけるなと言いたい。まさに今、死の覚悟をして復旧作業や放水作業に当たっている人たちの努力なしにも、大丈夫なんですか。

こういう人の書いていることをそれこそ鵜呑みにして、「ほら、もうすっかり大丈夫だ。放射能など恐くない。こんなに大丈夫なのに、どうしてクリスチャンのボランティアはどんどん福島や仙台に入らないのか。我々はとっくに入ったよ。臆病だなあ」と言いたげな人の怖ろしいほどの軽さが耐えがたいです。

ボランティアの足を引っ張りたいわけではありませんので、念のため。復興を願う思いは多くの人と同じです。私の言葉を冷静に読んでいただけば、真意を理解していただけると信じています。

|

2011年3月16日 (水)

心よりお見舞い申し上げます

ファン・ルーラー研究会各位

先週金曜日から始まった東北関東大震災、津波被害、原子力発電所事故という最悪の連鎖に直面し、大きな被害を受けた東北地方と関東地方の方々のために主にある慰めをお祈りすると共に、現在皆さまが安全なところで元気にしておられることを願っております。

震災発生後から各方面への安否確認や連絡を取る仕事が増え、みなさまへの連絡が遅くなってしまいました。そのことを、心からお詫びいたします。

本研究会の方々のなかで、あるいは関係者の方々のなかで、東北関東大震災で被害を受けられた方はおられませんでしょうか。研究会として何かできそうなことがあるようでしたら、お知らせいただけますとうれしいです。

私の教会や家族は無事でしたが、東京湾岸地区にある日本キリスト改革派教会の諸教会(新浦安教会、稲毛海岸教会)の周辺は、液状化現象で酷いことになっています。皆さまのお祈りに加えていただけますとうれしいです。

もう二日前になりますが、アメリカのファン・ルーラー研究者ポール・フリーズ先生(dr. Paul Roy Fries)から私宛に、安否を気遣ってくださるメールが届きました(以下引用)。

2011/3/14 :
> I have been concerned for you. If you are able please send a brief message
> concerning your wellbeing. Paul R. Fries

これは私信として頂きましたが、ファン・ルーラー研究会代表としての私に送っていただいたものですので(それ以外の可能性はありません)、研究会の皆さまに謹んでご紹介いたします。

まだ余震が続いています。震源の違う地震も多発しています。原子力発電所事故の状況も緊迫しています。そのような中ですので、皆さまどうかくれぐれもご自愛くださいますようお願いいたします。

研究会の皆さまのうえに、主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが豊かにありますように。

2011年3月16日

関口 康

|

2011年3月15日 (火)

被災地にボランティアに行こうとしている方々へ

ことさらに不安を煽る意図などは一切ありませんが、やや批判を恐れながら申せば、今回の事態は、阪神大震災のときとは性質が違うものがある、と感じています。

大きな違いは、第一に、阪神のときにはほとんどの人が使っていなかったインターネット(携帯電話、スマートフォン含む)が今は多くの人に使われていること、そして第二に、今回は原子力発電所がすでに「爆発」(首相発言)している、ということです。

私は、阪神大震災の反省と教訓は最大限に生かされなければならないと確信している一人ですが、当時の経験に基づく判断をはるかに上回るものが今回求められているのではないかと愚考いたします。いま書いたことをもっとはっきり言い直せば、「阪神大震災のときはこうだったから、今回もきっとこうだ」という判断だけでは済まないものがあるのではないかということです。

今はインターネットがあるということは、誤った情報だけでなくさまざまな情報を選ぶことができるという意味では大きな利点であると思います。いま首都圏(私が住んでいる地域も含む)で起こっている物資の買い占めは、言ってみれば小さなパニックの一種と言えなくもありませんが、ガソリンスタンドの前に長蛇であっても整然と並んで、自分の給油の順番を待っている人たちの表情は比較的落ち着いていますので、「パニック」とまでは言えないのではないか。

それより心配なのは、やはり原発事故です。首相が言っていることは、20キロ圏内は全面退避、30キロ圏内は自宅待機ですが、それは、31キロくらいまでなら東京方面から自動車を走らせて近づいても大丈夫だ、という意味ではないと思います。30キロ圏内の人々が今すぐ自動車に乗って逃げなければならないほどの影響は今のところ無いので、どうか落ち着いてください、パニックを起こさないでくださいという意味だと思います。つまりそれは、直接の被災地におられる方々への「落ち着いて行動してください」という呼びかけなのであって、直接の被災地にいない者たちへの「近づいてもゼンゼン平気だよ」というメッセージではないのだと思います。

そして、言うまでも無いことですが、放射性物質というものは、空気や風で拡散されるものです。それは、おそらく同心円的に、不可逆的に「広がって行く」ものです。被災地にボランティアに行きたい気持ちは私にも強くありますが、一人でできることは少ない(ほとんどない)わけですから、行くなら一人ではなく、おそらく必ず多くの人と共に行く。その際、私は牧師なので、何らかの責任者となって行く。しかしその結果、その人たちを放射性物質にさらす危険度の高い地域にあえて近づけることになる。それはできないと、私は考えています。

せめて原発事故が完全に鎮静化し、首相による「安全宣言」がなされるまで、外部から(不用意に)近づかないほうがよいのではないでしょうか。しかし、「それこそがイエスさまの示された愛なのだ」ということであれば、黙って見守るしかありません。それはそれで尊重します。

|

2011年3月14日 (月)

できることを、できるうちに!

直接の被災地に近ければ近いほど、ネットも電話も通じず、通信手段がない現状です。

松戸でさえ、金曜日から土曜日にかけては電話が使えませんでした。今日も計画停電の実施が二転三転し(これを書いている時点ではまだ実施されていない)、いつなんどき電気が(つまり、このパソコンが)閉ざされるかが分からない状況です。

通信手段を確保できている者たちが、それを確保できているうちに、自分たちになしうるあらゆる手段を講じることが重要だと、自分に言い聞かせているところです。

その意味では、直接の被災地から遠ければ遠いほど通信手段の遮断の危険性が少ないわけですから、その方々の役割は十分あるということです。だれ一人、被災地から遠くにいるからといって「何かしたいが、何もできない」と苦にすることは、もはや無いのだと思います。

本日は、日本キリスト改革派教会の国内教会関係委員会から、本教会の被災状況を、友好関係にある日本キリスト教会、日本長老教会、北米改革派教会日本中会にお知らせしました。

また、先ほどは、大会常任書記長の風間義信先生から、ハンガリー改革派教会から支援の打診があり、同教会の代表者が現地視察のために来日してくださる意思があると、教えていただきました。明日は、執事活動委員会と議長書記団の一部が対策委員会を開くことになりました。

具体的な支援体制が確立しつつあります。

今のところ元気な者たちまでが病んでしまっては、助けを求めている人たちを助けることもできなくなるのだと思っています。

そればかりか、自分までが病んでしまっては自分まで誰かの助けが必要になってしまい、助ける役目の人たちの負担をますます増やすことになってしまいます。

昨日の夜あたりから、テレビが(明らかに視聴率競争を背景にして)これでもかこれでもかと深刻な映像を繰り返し流し始めていることを、とても深刻に受け止めています。

「テレビのスイッチを切る勇気を持とう」などと書くと怒られるかもしれませんが、これから本格的に始まる復興支援のためにこそ、体力を十分に蓄えようではありませんか。

|

2011年3月11日 (金)

「平成23年 東北地方太平洋沖地震」と命名されたようですね

東日本の皆様、大丈夫ですか?松戸はとりあえず大丈夫ですが、地震のあまりの大きさにびっくりしました。まだちょっと揺れています。期末試験の最中の高1の長男が早く帰って来たので、妻と長男と私の三人で、遅い昼食をたべていた最中の地震でした(長女はつい先ほど中学校から帰ってきました)。まだ余震が続いています。状況は流動的です。被害が最小限に食い止められるよう祈るばかりです。(16:40)

|

2011年3月 8日 (火)

Ustream「ファン・ルーラーについて(5)」

主著『説教学』(原著1971年、日本語版1977年)で知られるドイツの実践神学者ルードルフ・ボーレンに決定的な影響を与えたファン・ルーラーの論文「キリスト論的視点と聖霊論的視点との構造的差異」(1961年)の解説を始めました。(55分00秒)

|

« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »