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2010年6月 3日 (木)

偏差値35の牧師で悪かったね(笑)

古い情報のようですが、私は昨日見つけ、全部読むのに30分くらいかかってしまいましたが、やたら当たっている、それはそれはイタイ内容でした。

ここ(↓)なのですが、猥雑なものを目にしたくない方々はご覧にならないほうがいいです。
http://www.unkar.org/read/life9.2ch.net/psy/1214455450

私は昔から「私は偏差値35の東京神学大学の卒業生です。しかも、この大学はSeminaryと言って、CollegeでもUniversityでもありませんので、外国向けの履歴書に大卒であると書くことができないのです。そういうひどい学歴コンプレックスを持っておりまして」という話を、時々ではありますが、ギャグないし笑い話として言って来ました。

少なくとも私の周りには、私の「学歴コンプレックス」という話を真面目に受け取って心配してくださるような方は一人もいません。その種の「コンプレックス」とは全く縁のない能天気な人間だと思われています。実際、本当にこれはただのジョークなのです。

しかし、昨夜、上記の書き込みをひととおり読んでみて、改めて思ったことは、「私は偏差値35の大学の卒業生であることを、むしろ誇りにすべきだな、これは」ということでした。

私の体験からいえば、「つぶしが利かない人間」だったからこそ、「牧師」以外の何ものでもない者として、地方伝道の現実と向き合うことができたというのが、第一の誇りです。

第二の誇りは、以前から親しい友人たちと語り合ってきたことです。今日もし「神学」なるものが教会の外でもその価値を認められて、まるでヘーゲルか何かのように「絶対的真理」を主張しはじめでもしたら、ひどいことになるだろうということです。

「神学」そのものは、偏差値35で十分です。そういう有難い評価をいただけているのなら、今後ともキープすべきです。神学は、教会の中だけで通用する学問であるという意味で「ただ教会のみの学」であってもよいのです。「教会に通わない神学者」がいるような神学部になるよりは、はるかにましです。そのような、教会の中でしか通用しない学問を研究し続けることができるというのが人生最大の誇りです。

しかしその一方で思うことは、牧師たる者は「ただ神学のみ」を学んでいるようであってはならないだろうということでもあります。

我々はいろんな学問を広く深く学ぶべきです。偏差値も学位も資格も関係なく、ただひたすらいろんな学問の中に沈潜していくことができるのも「偏差値35の牧師」の特権であると思っています。

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