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2009年11月14日 (土)

「10年後の」民主党に期待します(6)

しかし、教会自身の反省は、このたびの件に限っては、あまりしすぎる必要はないとも感じています。

このたびの問題は、政権与党の幹事長なる御仁が自分の置かれた立場をわきまえていないとしか思えないことを口にした(それは通常「失言」と呼ばれる)という点もさることながら、もう一つのより深刻かつ重大な点として、御仁が身を置く政権与党の名称が「民主党」(Democratic Party of Japan)であるということにこそあります。

こちらから喧嘩を吹っ掛けるつもりはありませんが、「キリスト教もイスラム教も非常に排他的だ。欧米人に仏教の神髄を説いてやる」などとおっしゃった以上、まずは御仁自身の「仏教民主主義」なるものでも提示していただかなければ、フェアな話とはとても言えないでしょう。その際教えていただきたいことは、「仏教」がその教義においてどのように「民主主義」と結びつくのかです。あるいは、「仏教」がその教義において、現在と未来の「民主主義の国」をどのように形づくることができるのかです。

そのことを、誰かの言葉や著書を読みなさいで済ませるのではなく、御仁自身の言葉と著書で、『仏教民主主義』なるタイトルで世に問うていただきたい。そして世界に広がる「キリスト教民主党」(Christian Democratic Party)を支持する人々と国際的な対話を展開していただきたい。せめてそれくらいはしていただかなければ、政治家としての御仁の発言は、無責任極まりない、世襲たちの酒席のたわごとであると言わざるをえません。おふざけにしては影響力が大きすぎる。意図的ならば悪質です。

「キリスト教とイスラム教に排他的要素がないか」と問われるならば、「なるほど、そのような要素は過去にあったし、現在もあるし、将来もありうるでしょう」とお答えします。しかし、「はて、仏教と比べられて云々されるほどの排他性が我々にあるだろうか」と自問するなら、「それほどでもない」と自答するでしょう。

フランシスコ・ザビエル初来日から数えれば四世紀、プロテスタント宣教師初来日から数えれば150年、「キリスト教」は「仏教と神道の国」から不当に締め出され続けました。この歴史的事実を知らない者は、この国にはおりません。

それとも、「仏教」と「民主主義」の関係は必ずしも明白ではないとお答えになるのでしょうか。たとえば「私は仏教徒ではあっても民主主義者ではない。キリスト教とイスラム教に対しては弾圧的な立場をとり続けることこそが日本の国益につながる」とお答えになるのでしょうか。そのような思想をもちうる権利は万人に保障されていると思います。しかし、もしそうであるならば「民主党」なるものの責任ある立場にとどまることはできないでしょう。「民主主義」という看板を悪用することは許されないでしょう。

先に「政治を行う人は組織神学を学ぶべきである」と、論理的には飛躍していることを承知しながら書いたことの一切は、このあたりに結びつきます。キリスト教を批判してくださることも結構。我々にとっては、そのようなことは言われ慣れていることです。求めているのはフェアな議論の場です。それを成立させるために、キリスト教を、その教義を、十分に学んでいただく必要があるでしょう。申し上げているのは、そのことだけです。

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