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2005年1月

2005年1月10日 (月)

時代の分岐点

(これは、2005年1月10日に行われた日本キリスト改革派教会東部中会青年会半日修養会(場所 松戸小金原教会)での講演です。全文が同青年会機関誌『アルパオメガ』2005年第2号に掲載されました。)

はじめに

本日、東部中会青年会一日修養会を、松戸小金原教会で開いていただき、また、講演をさせていただくことになりましたことを、感謝しております。

題名は、主催者が考えてくれたものです。非常に良いと思いましたが、わたしには刺激が強すぎて、かなり度肝を抜かれました。優れたコピーライターに感謝いたします。

主催者からの依頼内容をより具体的に言えば、来年2006年に東部中会が予定する新中会設立に伴う動きにおいて、東部中会青年会のメンバーが考えるべきことは何かということについて、みんなで話し合いたいので、新中会に参加する牧師の観点から見た現状と将来展望を示しつつ、青年会の今後についての具体的提案をしてほしいということでした。

新中会の名称は、昨年2004年11月3日に行われた東関東伝道協議会臨時総会で「東関東中会」にすることを満場一致で決定しました。今後は「新中会」や「(仮称)」等の表現は抽象的と判断されます。その段階はすでに越えていますので、ご注意ください。

「東関東中会」に参加する予定の教会は、予定であって未定です。現時点で十二の群れ(六教会・六伝道所)が参加に向けて準備を続けています。これより減ることはなかろうと信じていますが、門戸は開かれています。「東関東中会」に参加を申し出ていただける教会・伝道所がありましたら、ぜひご検討くださいますよう、お願いいたします。

ただし、誤解を避けるため、あらかじめ申し上げておきたいことがあります。

われわれの目指しているのは、いかなる意味でも“縄張り争い”のようなものではありえません。そのような打算的で・自己目的的で・結局無意味な動機や空気が全体を支配しているような計画ならば、必ず崩壊し、水泡に帰すでしょう。そのようなことのために、われわれが、東奔西走“させられている”のだとしたら、いずれ本当に嫌な気分を味わうでしょう。

今や、わたしたち(少なくともわたし個人)を突き動かしているものは、ただひたすら、中会に属する各個教会の伝道への熱意が、「東関東中会」の設立によってこそ促されるに違いない、という期待と確信です。

もちろん、そのことは、反面において、現東部中会の体制では、各個教会の伝道が、必ずしもうまく行ったとは言えない、という反省や批判が含まれている、と言わざるをえません。

しかし、その批判とは、現東部中会みずからの自己反省であり、自己批判であるということが、今こそ、認められなければなりません。

もとより、「東関東中会」設立の動機と目的は「東部中会の現体制に対する東関東中会参加予定者による批判」というようなことではありえません。

ここで確認しておきたいのは、そもそも、新中会の設立主体は「現東部中会」である、ということです。新中会設立は、まさか、旧いものから新しいものが“離脱”することではないし、“絶縁”するわけでもないし、まして、“分裂”や“対立”などではありえないのです。

個人的・私的な場でいつ・誰が・何を言ったかは知る由もありません。しかし「東関東中会」設立の動機と目的は、前向きで・肯定的で・未来志向で・建徳的なものです。

いずれにせよ、これからお話ししようとしていることは、すでに語られてきた何かや、それを語った誰かへの批判ではありません。論争的な意図は全くありません。ただ、自分自身の意見と構想を、全く自由に語らせていただきたいだけです。

新中会設立に関する資料はほとんど読みましたし、自分なりに把握しているつもりです。しかし今日は、それらを“踏まえずに”語ります。結果として誰かが・どこかで語ったり書いたりした言葉と同じであったり異なっていたりする場合にも、その方の弁護なり批判なりを、いささかも意図していないということを、ぜひご理解いただきたいのです。

I 小中会主義の新しい定義

今日お話ししたいと願っている第一の点は、「東関東中会」設立の理念として語られてきたいわゆる“小中会主義”についての定義は何か、ということです。現時点において、わたしは、おおむね、次のように考えております。

「東関東中会設立に際して語られる“小中会主義”の理念とは、いずれにせよ将来的に“大規模中会”へと成長・発展していくまでのプロセスにおける過渡的・臨時的な一形態としての“地域性密着型中会”(a locality-oriented presbytery)を形成するために必要な一切の事柄を導く理念である。」

この定義において申し上げたいことは、きわめて単純なことであり、ほとんど自明のことです。大切な点は、大きく分けて二つあります。

1)小中会主義の目標は小規模中会ではない

とくに最も重要であるとわたしが考える第一の点は、「小中会主義」の意味することは、必ずしも、その中会への所属教会の「数」の問題ではないと思われるし、「数」の問題であってはならないはずだ、ということです。

これは後ほどお話しすることと関連しています。最近よく考えていることは、「東関東中会」の10周年、20周年、30周年の頃にはどうなっているだろうかということです。

わたしは現在39才です。日本キリスト改革派教会の規定によると、あと31年、牧師を続けることができます。その日まで元気で働けるなら、「東関東中会30周年記念信徒大会」(2036年予定)には“現役牧師”として出席させていただけるでしょう。

そのとき、はたして、「東関東中会」は、現在参加を予定している12の群れ(6教会・6伝道所)のままでしょうか。

もしそうなら、がっかりです。想像するだけで、うんざりします。イエス・キリストが最もお嫌いになり、厳しく批判された、主人から預かった1タラントンを地の中に隠しておく、あの“怠け者の悪い僕”(マタイ25章、ルカ19章)と同じです。

「小中会主義」という言葉には、悪く働くならば、この種の怠慢に言質を与える可能性と罠があると、感じてきました。

また、この点で、「東関東中会」への参加を(今のところ)予定していない、いわゆる「(新々)東部中会」の将来には、何の問題もないのでしょうか。

「東関東中会設立30周年記念信徒大会」の年、(新々)東部中会は「設立90周年」を迎えます。そのとき、(新々)東部中会は、現東部中会に所属する教会・伝道所の数の中から、東関東分を差し引いた数のままでしょうか。そうであってはならないでしょう。

参考までに、他の教団・教派と規模を比較してみると、「東関東中会」(スタート時点で12の群れの予定)がカバーしようとしているのと同じ地域に該当する日本基督教団に所属する教会数は約90です。

30年後の「東関東中会」を盛り立てている群れの数が、現在の2倍くらいにはなっていることを期待するのは、高望みが過ぎるでしょうか。

小中会主義の「小」は、所属する教会数の意味ではないし、そうであってはなりません。

現実的には、数の面で、東関東中会も(新々)東部中会も、一時的に減少します。しかし、減少は、新しく生まれる二つの中会が、2006年以降、さらなる成長と発展を遂げていく中で、再び増加していくまでの過渡的・臨時的な形態をとっている証しなのです。

2)小中会主義の目標は地域性密着型の追求にある

第一の点を踏まえつつ、「小中会主義」の新しい定義において主張したい第二の点は、「小中会主義」の眼目はひたすら「地域性密着型中会の形成」にある、ということです。

ですから、小中会主義の「小」は、当該中会が伝道対象とする地域範囲を、あまりにも大きく広げすぎない、という意味でなければなりません。

ただし、これも誤解が起こりうることを容易に予測できます。絶対に避けなければならない誤解の一つは、「地域性密着型」を「地域限定型」と理解されてしまうことです。

具体例を申し上げれば、わたしが何を言いたいかを、すぐにご理解いただけるはずです。

「東関東中会」は、たとえば、今後一切、東京都内に伝道することはありえない、ということはありえない、ということです。

また、「(新々)東部中会」は、千葉県内や茨城県内に中会立の伝道所を立てることがありえない、ということもありえません。全くの仮定の話ですが、もし「東関東中会」は、今後一切、東京都内に伝道してはならないという話の運びになるなら、それこそ“縄張り争い”という謗りを免れないでしょう。

この点で、わたし自身は、「東関東中会」という名称に少しだけ不満を感じていた時期があります。関東地方の「東」の外には、一歩も出ることができない、というような意味で理解されることが決してあってはならない、と感じたからです。

たとえば、三鷹や吉祥寺や世田谷、あるいはお台場や銀座や浅草などに「東関東中会」の伝道所が誕生することが、あってはならないでしょうか。そんなことはないはずです。

今日は青年会の集いですので、うんと夢を膨らませた話をすることが許されるだろうと考えてきました。

生前の澤谷実先生と笑いながら語り合っていたことは「新浦安伝道所の次は、“お台場伝道所”だねえ」ということでした。

今の現実だけを見ている人々には愚かに聞こえるでしょう。しかし、わたしはまだ30才台ですが、皆さんはもっと若い。わたしより、たくさん夢を見ることができるはずです。その中には、今はまだ「改革派教会」の影も形も無い場所に立派な教会が立っている、という夢もあってよいはずです。そのような夢を見てほしいのです。

そして、ここでこそ、そもそも「中会」(presbytery)は「地域」に限定されたり、束縛されたりするものではないことが、確認されなくてはなりません。

実際、わたしたち日本キリスト改革派教会の歴史の中で、「中会」という概念は地域的な“限定性”を意味しないということを公に印象づけた例が、いくつかあります。

一つは、長野県諏訪市の上諏訪湖畔伝道所の例です。ここは西部中会の灘教会の伝道所になったことがあり、西部中会に属していたことがあります。もう一つの例は、岡山教会が今でも四国中会に所属していることです。

いずれも、各教会・伝道所の事情や設立状況によることですので、第三者的で無責任な論評は慎まなければなりません。

しかし、岡山教会の場合について一言申し上げるなら、(わたしの両親は岡山教会の会員です)、わたしのような岡山県出身者の感覚からすれば、非常に奇妙なことのように感じられます。端的に言って「岡山県は四国ではない」のです。「だから何なのか」と問われても答えられませんが、一般の岡山県人は、中国地方と四国地方とが一緒くたに語られることをあまり好まないと思います。

しかし、「中会」は「教区」ではありませんので、こういうことが十分に起こりえます。日本国が定めた県境や市境のルールに、われわれ教会が必ず従わなければならないわけではありません。教会が従わなければならないのは、信仰的良心のルールです。

岡山教会が四国中会に属していることは、一般の岡山県人の目で見ると、非常に奇妙なことですが、信仰の目で見れば、当然の成り行きであり、神の摂理である、と言わなければなりません。

むしろ、教会が真剣に問題にすべきことは、県境や市境そのものではなく、日本の歴史や文化などを古くさかのぼったところに根ざしている“意識”や“感情”や“感覚”などに関する事柄ではないだろうかと、わたしは考えています。

もし教会の主たる関心が、そこにおいてこそ「救い」が起こる“人間の心”にあるのであれば、人間が持ちうる“意識”や“感情”など、いずれにせよ人間存在の感覚的要素に対して深い関心を持つべきです。

たとえば、教会の中で、意識レベルの事柄に対する配慮に欠いた説教や牧会で、激しく心を傷つけられたことがある、という方がおられませんか。わたしも、反省しきりです。「地域性」(locality)というものに根を生やすことが少ない“流浪の”牧師たちは、そういうことを、しばしば、やらかしてしまうのです。

問題は、人間存在の感覚的要素に対する配慮や関心は、教会の中でも、いえ、教会の中でこそ必要であるに違いない、ということです。この中に「県民意識」なども含まれます。

「地域性密着型中会」ということで最も申し上げたいことは、教会(とくに牧師館の住人!)が、その地域の人々(当然ながら“教会員”を含みます)の心に関わる事柄に不断に配慮することができるよう、中会が配慮し、助けるという意味で、「人と人との心のふれあいを重視する中会」ということです。

「そんなのは、どうでもよいことだ。教会において重要なのは、聖書が正しく読まれ、イエス・キリストにおいて神が正しく理解され、福音が正しく語られることである。人間の意識や感情などではありえない。中会が、なにゆえ、そのようなことにかかわる必要があろうか」とお考えの方がおられるでしょうか。

そのようなご意見に、むきになって反論するつもりはありません。ただ、ちょっと違うのではないか、と感じるばかりです。

II 小中会主義の甘美な果実としての説教と牧会の回復

次の話題は、「小中会主義の甘美な果実としての説教と牧会の回復」ということです。「甘美な果実」のところは、「美味しいごちそう」とするか、もっと短く「目玉」とするかで迷いましたが、いくらか見栄えの良い表現にしました。舌がとろけるほど美味しい、極上の、甘いくだもの、という意味での「甘美な果実」です。

その意味は、大体ご理解いただけるのではないでしょうか。教会と中会が「小中会主義」の理念に基づいて形成されていくことでもたされる“良い結果”は何でしょうか。それは“善い説教”と“善い牧会”が回復されることです。また、それによって、わたしたちの教会が“善い教会”に生まれ変わることです、と言いたいのです。

多くの説明が必要でしょうか。申し上げたいことは単純です。牧師たちが、本来十分な時間と全力を傾けるべき「説教と牧会」よりも、中会活動のほうに時間や労力をとられてしまうような事態が発生しないように中会全体が配慮し、規制するならば、教会の礼拝や諸活動の全体が、もっと光り輝いたものになっていく可能性が高い、ということです。

このことを、わたしは、身を切る思いで語っております。また、あくまでも可能性の話です。牧師に自由な時間を与えさえすれば、自動的に“善い説教”が生まれ、“善い牧会”ができるようになるという保証は、どこにもありません。

また、「適度な中会活動」(?)は、牧師の説教や牧会に善い刺激と訓練を与えます。そして、牧師たちには、それに取り組む責任と義務があります。

いずれにせよ、「わたしの説教や牧会が悪いのは、中会での仕事が忙しいからである」という言い逃れは成り立ちませんし、恥ずかしいだけです。

しかし、です。そのような言い逃れはできないことを、多くの牧師たちは、百も承知の上で、中会の仕事を引き受けています。実際、多くの牧師たちは、そのような言い逃れは(口が裂けても)しませんし、「してはならない」と自分に言い聞かせ、パウロが書いているように、「自分の体を打ちたたいて服従させて」(コリント一9・27)います。

しかし、そのうち、体力の限界を越えてしまう。やがて仕事の津波に巻き込まれ、あっという間に命を失ってしまうのです。

「説教」はもちろん神の言葉です。しかし、人間の手で書かれ、読まれる原稿でもあります。

原稿を書くことは、けっこうたいへんな仕事です(わたしの場合、一回の説教原稿は、約六千字前後です。四百字詰め原稿用紙で十五枚分です。年末・年始は、クリスマス礼拝、イブ礼拝、水曜礼拝、新年礼拝と続き、四百字の原稿用紙にすれば百枚近くの原稿を書きました。加えて、この原稿も書きました。もちろん、これは、わたしだけの話ではなく、すべての牧師たちが、このたび味わったことです)。

苦労話をしたいのではありません。単純に「説教」の準備には時間と体力が必要である、と言いたいだけです。

しかし、牧師の仕事は、まさか「説教のみ」ではありえません。少なくとも「牧会」があります。とくに政治規準第四六条(牧師・協力教師・宣教教師の任務)七項が明記する「教会員、特に、貧しい者・病める者・悩める者・臨終の床にある者を訪問すること」が重要です。

これが政治規準に明記されている意味は、「牧会」、とくに信徒の家庭訪問をしないような牧師は戒規を受けなければならない、ということです。

しかし、そのような苦労ならば、まだよいのです。牧師の喜びであり、本望です。

問題は、その上に中会や大会の仕事が重なってくることです。それも改革派教会の牧師としての義務であり、責任であるゆえに、感謝して取り組まなければならないことについては、よく分かっているし、心も燃えている。しかし、「肉体が弱い」(マタイ26・41)という事態が起こってくる。

このようなことは、誰がどう考えても「本末転倒」というしかない事態であることは、ご理解いただけるはずです。

「小中会主義」の眼目に、せめて、中会の会議や委員会に参加するために要する物理的な移動の距離や労力を少なくしたいということがあります。説教と牧会に専念するための時間と体力を確保するためです。

山梨栄光教会の牧師は、東京で行われる会議や委員会への出席自体が、文字通り「一日がかりの仕事」です。3時間程度の委員会に出席するために、バスや電車を乗り継いで往復6時間近い道のりを、日帰りしなければなりません。

同じことが、教会の信徒や青年たちにも当てはまるはずです。

東京の中心部から物理的な距離が遠い教会にとって「中会に参加する」とは、もっぱら「東京に行くこと」です。そのほとんどが、「牧師が東京に行くこと」です。

ところが、「それが何であるかはよく分からないし、わたしたちの教会の現実にとってどれほどの意味があるかも分かりません」というような否定的な反応が返ってくるばかりです。

教会のみんなが喜びとすることができないことに取り組んでいる牧師は、一体、何をしているというのでしょうか。

また、それらの教会にとって「中会主催」の集会(中会青年会含む)への参加は、現実には不可能な場合が多く、チラシや案内が届いても関心を持つことができない、と感じている人々が、少なくありません。

「小中会主義」の理念の背景には、このような現東部中会の現状に対する危機感や打開を求める声があります。かなりの部分が牧師の問題です。わたしも今、グズグズ独り言を言っているような気分です。しかし、牧師の時間と体力が回復されるとき、説教と牧会が少しはマシになる(かもしれない)ことを、ぜひ期待していただきたいのです。

III 中会分割によって起こりうる現象と課題

さて、以上の考察によって本日申し上げたいもう一つのことは、二つの中会への分割によって必然的に起こるであろう現象と課題は何か、ということです。

1)現象

そのとき起こる現象の第一は、「牧師が教会に戻ってくる」ということです。

その恩恵は、おそらく「サンタが街にやってくる」こと以上です。それぞれの教会が、神の栄光の輝きを取り戻すでしょう。牧師が教会に“張り付く”ことができる余裕が増し、説教や牧会がよみがえり、教会の諸集会や諸活動にも、活気が戻るでしょう。

第二の現象は、「(新々)東部中会」に関することですが、現東部中会の諸集会の主な会場であったという意味での“中心的な”教会が“非中心化”されうる、ということです。

奥歯に物がはさまったような言い方は不要かもしれません。「小中会主義」の眼目の中に物理的距離の問題があることは、すでにお話ししました。そうであるならば、「東関東中会」分離後の「(新々)東部中会」の物理的な中心地は、従来と全く同じではないはずです。新しい中心はどのあたりになるかが課題になるでしょう。

もちろん、交通路の問題が考慮されなくてはなりません。たとえば、同じ「甲信地区」の教会でも、長野伝道所は、長野新幹線を利用できるので、都心に出かけるほうが便利と言います。しかし、山梨栄光教会や上諏訪湖畔伝道所は、全く事情が異なります。

第三の現象は、第二の現象の必然的帰結ですが、従来の“中心的”教会の“非中心化”に伴い、中会主催の諸集会や諸活動が、地域的により分散化されうる、ということです。

現在すでに、東京地区・埼玉地区・神奈川地区・甲信地区などの単位で諸集会・諸活動が行われていますが、それがますます活発化していくでしょうし、そうなっていくべきでしょう。もしかしたら、現在の地区単位の活動が、やがては新しい「中会」になっていくことが、十分にありうるし、期待されていることでもあるのです。

2)課題

このように想定されうる現象を踏まえつつ、今後、東部中会青年会が課題とすべきことは何でしょうか。考えられることを、以下、列記しておきます。

第一の課題は、これまで以上に一人一人が「改革派信仰」を真剣に学ぶ機会を増やしていくには、どうしたらよいのか、ということです。

牧師たちが教会に戻ってくる、ということは、青年たちとの距離が、物理的にも・精神的にも近づくことを意味します。牧師たちを自分の「家庭教師」のように思っていただき、遠慮なく質問してください。そういうことをするために、牧師は神に召されたのです。

第二の課題は、中会青年会の地域的分散化の促進と相互の連携は、どのようにして実現するのか、ということです。これは、ぜひ皆さんで考えてください。

第三の課題は、新たなる開拓伝道の場を見出していくことです。これは、最初のほうで申し上げた「小中会主義の目標は小規模中会ではない」という点に関わります。

青年たちにこそ考えてほしいことです。今はまだ「改革派教会」の影も形も無いような場所に、立派な教会が立っている夢を、見ていただきたいのです。

たとえば、“お台場”のような地域で青年たちの定期的な集会が10年、20年と続けられていくうちに、もしかしたら「お台場伝道所」が生み出されるかもしれません。それとも、皆さんは、“ありそうもない夢は見ない主義”でしょうか。

IV わたしの夢

最後に、「東関東中会設立10周年記念信徒大会」(2016年)についてのわたしの夢を描いておきます。

わたしは50才、妻は47才、長男21才、長女は17才です。子どもたちは青年会や高校生会のメンバーです。もちろん予定は未定です。しかし、許されるならば、そのときも松戸小金原教会の牧師です。現在の松戸小金原教会には青年が少ないのですが、2016年には、今の小学生たちが「東関東中会」の青年会を盛り立てているでしょう。

そのとき、「東関東中会」は、いくつの教会・伝道所を擁しているでしょうか。少しも変わっていないでしょうか。「(新々)東部中会」は、どうでしょうか。「改革派信仰」に養われた信徒は、何人いるでしょうか。

恐るべき事態も発生しているかもしれません。「東関東中会10周年記念信徒大会」には、宮崎彌男先生も、高瀬一夫先生も、横田隆先生も、李康憲先生も“引退教師”として参加していただくことになります。後任の教師は、備えられているでしょうか。

ここで第四の課題をあげておく必要がありそうです。「牧師」として献身する人が起こされることを祈らなくてはなりません。女性教師・女性長老の可能性も真剣に考えていくべきでしょう。牧師と結婚していただける方も起こされることを期待したいところです。

質問

1)「教会や中会でしたいこと、できそうなことは何か(できるだけ具体的に)」

2)「教会や中会に、これからもっと積極的に取り組んでもらいたいことは何か」

3)「通っている教会が遠すぎるので、もっと近くに『改革派教会』ができると有難いのだが、と願っている人に、ズバリ聞きたい。候補地はどこですか」

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